2009-09-24

新曲そろそろ完成間近

つのさんの依頼で作り始めた曲がようやく形になってきた。もともとの話が6月だったから、気がついたらえらく時間がかかっている。BPMが130のテンポで6月に一度作ってみた時点で一度アイデアが全部吐き出されてしまって、もう一曲別に同じテンポで発想するのに苦労したという事情。でも苦労してウンウン考えたおかげでいい感じの曲になったと思う。

まあ、ウンウン考えたと言っても、あれこれ悩んだりしているうちは全く発想は出てこなくて、朝に目が覚めてフニャフニャした頭の状態でぼーっと考えている時間とかが一番有効だったりする。そういう状態で大体のアイデアを考えて、次にMacに向かう時に形にする感じ。だから、実際に椅子に座って「作曲」している実効時間はかなり少なくて、今回でも2〜3時間くらいかなと思う。

今回はメインメロディが決まってから曲のアレンジをするまでの間にも時間がかかった。メインメロディとそのコード進行にとらわれすぎて、なかなかそれが「動かせなかった」感じ。もう一つ展開しないと曲を構成するブロックが足りないんだけど、それがなかなか出てこない。結局、ある日の朝に思いついたアイデアで元の曲の形を少し崩し、まとめ直して何とか形にすることができた。

実はこうしてアレンジが決まり、曲の長さが決まったのはドラムのレコーディングをする前日。最悪の場合は決まっている部分だけドラムを録り、後で構成を決めてドラムの音をMac上で切り貼りするつもりだった。そうは言ってもこの時点で尺が決まっているに越したことはないから、結局頑張ってまとめ上げた。いやー、ここで頑張って良かった。

Macベースの打ち込みオケとクリックをMTRに録音して、今回ドラムをお願いしたケビン・ヒグチにそれをヘッドホンで聞きながらドラムを演奏してもらい、持ち帰ってMacのオケに重ねてみると、やっぱり生音は違うなーと満足。パワーもあるしグルーヴもいい。Macで際限なくエディットして生ドラムを再現するより百倍いいな。ケビンにお願いして良かった。ちなみに彼はバンド「インソレンス」でも叩いていて、日本ツアーに行ったりもしている。マキシマム・ザ・ホルモンと対バンでライブをやったりしたらしい。

ところで、今回の曲の僕の中でのイメージは「90年代のT-スクエア」だったんだけど、それをT-スクエアとかを知らないアメリカ人ミュージシャンに演奏してもらったらどうなるかという興味があった。これは思わぬ形で失敗した。というのは、ケビンにデモ音源のmp3を送っていざレコーディングの現場で会うと、彼は口を開くなり「おいケン(僕のあだ名)、T-スクエアって知ってるか?」と聞いてきたのだ。吹き出しそうになりながら「何で知ってるの??」と聞くと「大学の頃に日本人の友達がいて、彼が日本のフュージョンバンドの曲を良く聞かせてくれたんだよ。それにアキラ・ジンボーとかノリタケとかはこっちでもドラマーの間では有名だから。デモ聞いてT-スクエアっぽいなと思ったんだよ」との答え。そうだったのかー。まあ、スクエアっぽいと思ってくれたのはうれしいけど、企みはもろくも崩れてしまった。

多分、今週録音するギターとキーボードの連中はT-スクエアは知らないはず。。さて、どんなサウンドになるか楽しみだ。

2009-09-22

RhapsodyとiPhoneで音楽聞き放題!

月額制音楽配信サービスのRhapsodyがiPhoneアプリを出した。Rhapsodyの「月額料金を払えば聞き放題」というモデルは僕自身も大ファンで、もう何年も使い続けている。通常は$9.99のサービスだけど、それだとPC上でしか音楽が聞けない。ポータブルプレイヤーに転送するのも自由な「Rhapsody To Go」のサービス($14.99)ならPC上のハードディスクやらiPodやらで楽曲ファイルを管理しなくても、大体今後何週間かで聞きたい曲をまとめてRhapsodyからダウンロードしてポータブルプレイヤーにコピーして聞き、飽きたら入れ替えればいいから数GBくらいの小容量のプレイヤーで問題なく使える。僕はこのサービスを使ってきた。

しかしiPhone版ではさらにこれが便利になった(なお、iPhone版を使うには「Rhapsody To Go」が必須)。何より、いちいち曲をPCから転送しなくてもiPhone上で聞きたい曲を検索して直接プレイできるのはかなり大きい。当然、デバイスを買い替えたりした時にファイルを転送する手間を心配する必要もない。僕にとってはこれはかなり決定打で、僕の中ではもうファイルを所有する転送するとか、楽曲を購入するという感覚で音楽配信サービスを使うことはなくなるだろう。かつて「The Future of Music」で読んだように、ますます音楽を聞くという行為が「蛇口をひねったら水が出る」ような、日常生活に当たり前のもので基本料金を払えばいくらでも使えるというものになっていくのを実感する。

こういうサービスを実際に使ってみると、あまりにも便利で合理的でこれがこういうサービスの在り方として自明的で当たり前のことのようにさえ感じてしまう。月額固定料金を払えば携帯電話上で指先の操作一つで音楽は聞き放題。再生された曲のカウントはサーバ上で集計され、売上の一部がアーティストに配分・還元される。何と明快なことか。聞き放題だから新しい音楽をどんどん発見できる。アーティストも曲を聞いてもらえるチャンスが増える。iTunesのような、たった30秒の試聴じゃ分からないことも多いから、リスナーにもアーティストにも両方にメリットがあると思う。音楽配信サービスではiTunesがまだまだ強いけど、僕は断然Rhapsodyを応援してしまう。

音質はまだ改善の余地が大いにあって、印象としてはmp3で言えば96kbpsくらいの音質だ。しかしポケットに数百万曲のライブラリを持ち歩くことができるこの状況は、ちょっとすごい(実際に数百万曲なのかどうかは知らないが、一応millions of tunesということになっているので)。数年前から、「いずれCDで楽曲を購入したりハードディスク上でmp3を管理したりiPodに転送したりすることなく、サーバ上の楽曲ライブラリをどこにいてもストリーミングで聞けるようになる」とは思っていたけど、「その日」がもうすぐそこに来ていることを実感できてとてもワクワクする。音質は後で良くしていけばいい。Apple自身のiTunesサービスと競合することからも、Appleは良くこのアプリを許可したなとも思う。まずは、こういうモデルが一気通貫で完成したことに拍手を送りたい。

2009-09-15

ウェブサイト一新

週末を何度か使ってokada.fmのメインサイトを作り直した。
http://okada/fm/

というか今まで何のコンテンツも置いていなかったので新規に作ったと言うべきか。実はずっと昔にはWordPressのブログを設置していたんだけど、録音したサウンドやオリジナル曲だけを掲載していく音楽アーカイブ・ブログという企画がイマイチ実行しきれずにボツったという経緯があった。

そんなこともあって今回、細かくコンテンツを管理しなくてもそれなりに楽しんで見てもらえるサイト作りをしようと思って、音楽プレイリストとフォトスライドショーを組み合わせて、しかもフルページででっかく写真を見られるようなものを作った。文章とか一切無し。その代わり、YouTubeのチャンネルやFacebookへのリンクを一覧にしてページトップに載せた。

フルページのFlashって今までちゃんと作ったことなかったので、作るのは楽しかった。でも作っているうちに色々細かいアイデアを思いついて追加していったので、最後のほうはかなりぐちゃぐちゃしたプログラムになってしまった。また時間があればリファクタリングしよう。。

YouTubeにアップしている演奏ビデオと違って、音声のみのトラックに静止画を付けるという方法はとても面白い。想像力に刺激する部分がより出て来る。ビデオはそれなりに面白いんだけど、ある程度編集を入れないと本当に見ていて面白いものにはできない。それだったら、Flickrにアップされている膨大な写真の中から自分のイメージに合うものを選んできて表示し、曲と一緒に楽しんでもらうほうが奥深さが出るかなと思った。

曲毎に対応する写真を一つずつ選ぶというようなやり方も考えたけどそれは制約が厳しすぎて面倒くさくなりそうなので、写真は適当なタイミングで勝手に移り変わっていくようにした。

よくあるタイプのアーティストサイトとは見た目が全然違うけど、「要は音楽を聞いてもらいたい」というシンプルなテーマから始めて作ってみたらこうなった。しばらく楽曲コンテンツなどを追加し続けて、そのうちもう一度絞り込んでみたり、写真の内容も色々入れ替えたりしながら試行錯誤していきたいと思う。オリジナル曲も掲載していきたい。多分のんびりになるけど。

ご感想、バグレポートなどありましたら是非お知らせ下さい!

2009-09-12

久しぶりに聞いたCDでタイムスリップ

妻とビールを飲みながら音楽の話をしているうちに大学の頃のバンド活動で使った譜面を見つけた。「これ懐かしいね」と電子ピアノで妻が弾き始めた曲は角松敏生のインストアルバムに入っていた「Sea Line」という曲。一緒に演奏したのは確か大学3年の時の学園祭の時だから、もう15年くらい前のことだ。「まだCDあったよな」と角松敏生の「Sea Is A Lady」というCDアルバムを引っぱり出して来てラジカセでかけたら昔にタイムスリップしてしまった。

このアルバムを初めて聞いたのは中学3年くらいの時だったと思う(だから大学の時に演奏したよりもさらに6年くらい前)。当時はスクエアとかカシオペアとか爆風スランプとかにハマっていた時期で、角松敏生というアーティストの名前すら知らなかった。友達が「これ聞いてみ」と言ってテープを貸してくれたのだが、一発でノックアウトされた。アルバムを通じて「夏」という一貫したテーマがあって非常に明快なメッセージが詰め込まれていて、楽曲も素晴らしく、さらに参加ミュージシャンのレベルも非常に高くて完成度の高いアルバムだった。

実はこれを聞いていた頃に一番印象に残ったのは村上ポンタさんのドラムだった。当時はバンドブームで、バンドで曲を演奏するといったら曲の構成や各楽器の演奏内容はきっちり決まっていて、それをそのまま演奏するのが普通だと思っていた。ドラムも曲毎に基本リズムパターンが決まっていて、それをきっちり決まった通りに叩くのが当たり前だと思っていた。しかしポンタさんがこのアルバムで叩くドラムはちょっと様子が違っていて、きっちり決まっているパターンのように聞こえながら、良く聞くと細かいところでは自由にパターンをくずしているのが分かった。どうやら、基本となるラフな譜面があって、それを見ながら雰囲気で適当に叩いているらしい、と僕は推測した。

いわゆる「バンド」ではなく、スタジオミュージシャンが参加して作るCDというものを初めて聞いたのがこれだったのだと思う。実を言うと最初は、「やる内容がちゃんと決まってなくてその場で適当にやるなんて、ピンと来ないな」と思っていたところもあった。それでも内容として問題があるわけじゃないし、むしろ聞き込んでいくうちに味わいとして感じられるようにさえ思えた。サックスソロとかもアドリブでやってる雰囲気だったので、いわゆる「バンド」の曲でギターソロなんかが決まった内容であるのが普通だったのに比べると新鮮だった。この辺が自分にとってのジャズや即興演奏への入り口だったのかな、と今振り返ってみると思えなくもない。

さて、久しぶりのCDを聞きながら、当時15歳の自分、そして当時27歳の角松さん、そして今36歳の自分、などをつい比較して考えて、もの想いにふけってしまった。20代の一番元気な時期に僕はベンチャービジネスとかに自分の時間を投入していたので到底同じレベルでは語れないのだけど、今また音楽に使う時間が増えた時になってみて、失った時間というのがあるなあと痛感した。でも、今この状況で自分が出来ること、すべきことを見極めて、「選択と集中」などベンチャービジネスを通じて学んだことを今の音楽活動に応用して、一歩ずつ形にしていければ、今まで自分のやってきたことを無駄にせずに成長していけるかな。

そんなことを考えながら、CDのライナーノーツや曲毎の参加ミュージシャンリストをくまなく読み、「この曲を作るにあたって角松さんはどこまで譜面に書いたのだろう」「この部分はミュージシャンのアドリブで、ミックスの時にそこを膨らませて強調したのだろうな」などと色々想像を働かせていた。昔とはちょっと聞き方が変わったけど、曲の素晴らしさに対する感動は同じだった。 

2009-09-11

これぞニューヨークサウンド

昨日はヘドリー・クラブのジャムセッションで久しぶりにハウスバンドとして弾いた。毎月一回呼ぶスペシャルゲストとして今回参加したのはドラマーのシルビア・クエンカ。今はニューヨークを拠点にしているが出身地のサンノゼには年に何度かツアーなどで来るので、それに合わせてジャムセッションの主宰者のフリストが声をかけたらしい。

このジャムセッションではいつも最初にハウスバンドが何曲か演奏してから飛び入り参加を受け付ける形式になっている。昨日も「Lady Bird」「Someday My Prince Will Come」「There Is No Greater Love」「Solar」などのスタンダード曲をやった。ちょっとビバップに寄り過ぎた感じもする。もうちょっとモード寄りの曲もやりたかったけど「Solar」でそういう雰囲気は楽しめたのでまあ良かったかな。

シルビアのビートはやっぱりニューヨークっぽい感じで、一言で言うとすごく「速い」。感じているテンポが西海岸よりに常に一段階速いようなイメージで、こちらもかなり意識してドライブ感を出さないとドラムよりもビートが後ろになってスピード感を失わせてしまう。この辺は予想していた通りで、最近ちょうどクリスチャン・マクブライドの4ビートのイメージでかなり前に前に突き進んで行く感じのビート感をイメトレしていたので良かった。一応、ハウスバンドとしての役割は果たせたかな。

昨日の参加者の中にはビブラフォンで参加したツワモノがいた。やけにうまいなと思ったら彼はクリスチャン・タンブールというプロミュージシャンで、フリオ・イグレシアスやシルク・ド・ソレイユで音楽ディレクターをやっているようなすごい人だった。最近ベイエリアに越してきたらしい。彼とはまた一緒に演奏したいな。彼からも「連絡先教えてよ」と言ってもらえたので良かった。

ジャムセッションが一通り終わって最後にハウスバンドに加えてビブラフォンのクリスチャンをフィーチャーして「It Could Happen To You」を演奏して終わり。ベースアンプの調子が悪くて最後の曲は僕は何と生音だけで演奏していたのだけど、こないだの日曜日に弦を張り替えたばかりだったので何とか音量は出せた。「音程は聞き取れないけどビートは感じられる」感じだったと思う(思いたい)。このアンプはアメリカに来たばかりの時に買って7年くらい使ってるが最近調子が悪いので修理に出さねば。

とにかく昨日は、シルビアとクリスチャンと共演できてとても刺激になった。こういう素晴らしいミュージシャン達と演奏すると「大体あの辺に行けばその先が見えて来そうだ」という目標にもなる。薬が効きすぎて自信をなくす時もあるけど、昨日はかなりポジティブ。よし、練習、練習。

2009-09-04

仲間を裏切らない

ちょっと前のライブであったこと。一緒に演奏するメンバーはいわゆるアマチュアで(ってまあ、僕もフルタイムのプロではないという意味ではアマチュアではあるんだけど、それは置いておいて)、アドリブソロは一応形にはなっているけど時々勢い余ってリズムがずれたりすることのある感じ。こういう時は、正直に言うと、以前はちょっと手を抜く感じになることもあった。というのも、こういう場合、相手は周りの演奏が聴こえていないので、こちらが何をしても反応してくれないし、こちらがいい演奏してもそれも分かってくれないから、淡々と弾くだけ、みたいになったりする。

相手のソロがずれ始めても、「正しいのはこっちだから」と思ってすぐには合わせてあげない。あまりにもずれた状態が続き、相手がやっと気づくと「うん、やっと気づいたね。これでちょっと経験値上がったね!」みたいな感じでちょっと喜んだり。まあ、それはそれで一つのやり方ではあるんだけど、やっていてそんなに気持ちのいいものでもない。聴いている人に対して「ベースはちゃんと弾いてるでしょ」と言い訳しながら弾いてるような感じ。

最近は、こういうやり方は「戦う相手が違う」のだと思っている。一緒にステージに立っている以上、同じ船に乗った仲間なのであって、そこで仲間割れみたいなことをしたり、「上から目線」で自分だけ偉そうにしてるのは意味がない。問題はどうやって聴いている人に「良い音楽」を届けるかであって、ステージ上で「誰が上か」をアピールすることではない。

だから最近は、こういう場合には徹底的に相手に合わせる。大体、相手の音を良く聴いていれば、「どういうことを相手がやり始めるとずれ始めるか」は分かるものだ。ちょっと難しいフレーズをやろうとしたら指がもつれて遅くなってしまうとか、反復フレーズをやり始めたら速くなってしまうとか。あるいは、曲のどこをやってるか見失って、8小節飛ばしてサビに行ってしまうとか。そこに気をつけて、遅くなったり速くなったり、コード進行を飛ばしてしまうような瞬間にうまく合わせて、ステージ上では何も問題が起こらなかったかのように見せる。自分としても、そういうところも含めて全力で演奏することで集中力も出るし、相手のソロがきっちり終わると達成感も共有できて、自然と笑顔が出る。そういう演奏をしているうちに相手のソロもどんどん良くなる。その中から一瞬でも「おおっ、今のは文句無しに決まった」という瞬間が生まれれば、「感動」が生まれてその演奏は「記憶」に残り、そのライブは「成功」する。この時のライブも、最後の最後でこの「一瞬」が生まれた。途中であきらめて「淡々モード」に入っていたら絶対に生まれなかった瞬間だ。その時はうれしかったし、拍手ももらえた。やっぱりこういう考え方でやってこそだよな、と最近考えていたことが再確認できた瞬間だった。

結局、上手いか下手かというのは相対的な話だ。自分だって、一流のプロと演奏する時は相手に引っぱり上げてもらっている。そういうプロもやっぱり「問題はどうやってこのメンバーでいい雰囲気を作り出し、いい音楽でこの観衆を喜ばせるか」を考えているんじゃないかと思う。大体、「どっちが上手いか」を競って、「オレのほうがうまい」と示せたところで、そこには「感動」がない。逆に言えば、そのステージで生まれるかどうか分からない「感動」を追究するより「自分のほうがうまい」と示すことのほうが手っ取り早く満足が得られそうだからそっちに行ってしまうのだと思うが、そんなことより「さあ、このステージで『感動』の一瞬を作り出せるかな」と果敢にチャレンジして、成功した時の喜びをそこにいる人全てと共有することを目指したほうが音楽をやっている意味がある。そのチャレンジのリスクというのは、一丸となった演奏を目指したけど総崩れして、観衆から「このバンドの演奏はダメだね」と言われて、メンバー全員の連帯責任で評判を落とすこと。まあ、大したことじゃない。それをやらずに無難なところに落ち着き、「彼は上手いよね」という評判だけを手に入れても意味がない。

2009-09-01

ストーリーを組み立てる

ソロを取る時にはストーリーを語るように、とは良く言われることだけどこれがなかなかできない。調子のいい時はすらすらフレーズが出て来るけど、調子の悪い時は考えたり詰まったりしながらになってしまうのは、まだ「語り手」として下手なのだなあと思う。

表現したいことは浮かんでくるのだけど、それを整理しないままに音にしてしまうのがいけないのかなと思う。例えば、マイクの前に立たされて「何か話してください」と言われた時、「じゃあ桃太郎の話をしよう」と決めるところまではいいのだけど、「おじいちゃんおばあちゃん」「川から桃が」「桃から男の子が生まれて」「鬼が島に鬼退治に」「きびだんご」「犬とか」みたいに話すべきことのアイデアがワーっと浮かんできてしまって、それを整理せずに話し始めてしまう感じ。話すのがうまい人は、話の最後までの大きな絵が頭の中にあって、説明の順番を考えながら一つ一つの場面を紹介していき、強調すべきところ、サラっと流すところなどを使い分け、アドリブをところどころに入れたり、聞き手の反応をみたりしながら効果的に語っていくのだと思う。

もともと、法律の勉強とかプログラミングとかをやってきたせいもあるのか、「言いたいことは簡潔に、無駄なく言い切りたい」と思いがちなところはある。また、二人の姉のいる末っ子だったので、自分の言いたいことを皆に言い聞かせるよりは、普段は周囲の言うことを良く聞き、自分に「順番の回ってきた」時には言いたいことを短く言って「はい自分はおしまいです」と済ませるようなクセがついていたかも知れない。だから話を膨らませたり、「次に出てくるビックリ」を隠しながら話したり、伏線を使ったりするのが苦手。言いたいことはさっさと言い切りたくなってしまう。あと話の結論がないようにして話すのも苦手で、自分で話しながらオチがないことに気づくと滅入る。また、言いたいことはワーッとあるのに自分がそれを表現しきれない、あるいはちゃんと表現するには手間がかかると分かると「あ、いや、やっぱりいいです。大したことじゃないし」とあきらめることもある。そういう時にめげずに話しきってしまうスキルも必要だよな。

まあ、表現の方法は人それぞれだから、これが正解というのは無いとは思う。無駄を切り捨てていくのも一つのスタイルとしてはありうる。ただ、そうするにしても、もう少しだけ言いたいこと、表現したいことをドラマタイズして演奏するクセはつけていきたいものだなと思う。

追記:しかし飲み会では割とおしゃべりになるのは、やっぱり言いたいことというのは持っているけど普段はそれを抑えるクセがついていて、そういう表現欲求みたいなのがあるから音楽やってるんだろうなと思う。