ちょっと前のライブであったこと。一緒に演奏するメンバーはいわゆるアマチュアで(ってまあ、僕もフルタイムのプロではないという意味ではアマチュアではあるんだけど、それは置いておいて)、アドリブソロは一応形にはなっているけど時々勢い余ってリズムがずれたりすることのある感じ。こういう時は、正直に言うと、以前はちょっと手を抜く感じになることもあった。というのも、こういう場合、相手は周りの演奏が聴こえていないので、こちらが何をしても反応してくれないし、こちらがいい演奏してもそれも分かってくれないから、淡々と弾くだけ、みたいになったりする。
相手のソロがずれ始めても、「正しいのはこっちだから」と思ってすぐには合わせてあげない。あまりにもずれた状態が続き、相手がやっと気づくと「うん、やっと気づいたね。これでちょっと経験値上がったね!」みたいな感じでちょっと喜んだり。まあ、それはそれで一つのやり方ではあるんだけど、やっていてそんなに気持ちのいいものでもない。聴いている人に対して「ベースはちゃんと弾いてるでしょ」と言い訳しながら弾いてるような感じ。
最近は、こういうやり方は「戦う相手が違う」のだと思っている。一緒にステージに立っている以上、同じ船に乗った仲間なのであって、そこで仲間割れみたいなことをしたり、「上から目線」で自分だけ偉そうにしてるのは意味がない。問題はどうやって聴いている人に「良い音楽」を届けるかであって、ステージ上で「誰が上か」をアピールすることではない。
だから最近は、こういう場合には徹底的に相手に合わせる。大体、相手の音を良く聴いていれば、「どういうことを相手がやり始めるとずれ始めるか」は分かるものだ。ちょっと難しいフレーズをやろうとしたら指がもつれて遅くなってしまうとか、反復フレーズをやり始めたら速くなってしまうとか。あるいは、曲のどこをやってるか見失って、8小節飛ばしてサビに行ってしまうとか。そこに気をつけて、遅くなったり速くなったり、コード進行を飛ばしてしまうような瞬間にうまく合わせて、ステージ上では何も問題が起こらなかったかのように見せる。自分としても、そういうところも含めて全力で演奏することで集中力も出るし、相手のソロがきっちり終わると達成感も共有できて、自然と笑顔が出る。そういう演奏をしているうちに相手のソロもどんどん良くなる。その中から一瞬でも「おおっ、今のは文句無しに決まった」という瞬間が生まれれば、「感動」が生まれてその演奏は「記憶」に残り、そのライブは「成功」する。この時のライブも、最後の最後でこの「一瞬」が生まれた。途中であきらめて「淡々モード」に入っていたら絶対に生まれなかった瞬間だ。その時はうれしかったし、拍手ももらえた。やっぱりこういう考え方でやってこそだよな、と最近考えていたことが再確認できた瞬間だった。
結局、上手いか下手かというのは相対的な話だ。自分だって、一流のプロと演奏する時は相手に引っぱり上げてもらっている。そういうプロもやっぱり「問題はどうやってこのメンバーでいい雰囲気を作り出し、いい音楽でこの観衆を喜ばせるか」を考えているんじゃないかと思う。大体、「どっちが上手いか」を競って、「オレのほうがうまい」と示せたところで、そこには「感動」がない。逆に言えば、そのステージで生まれるかどうか分からない「感動」を追究するより「自分のほうがうまい」と示すことのほうが手っ取り早く満足が得られそうだからそっちに行ってしまうのだと思うが、そんなことより「さあ、このステージで『感動』の一瞬を作り出せるかな」と果敢にチャレンジして、成功した時の喜びをそこにいる人全てと共有することを目指したほうが音楽をやっている意味がある。そのチャレンジのリスクというのは、一丸となった演奏を目指したけど総崩れして、観衆から「このバンドの演奏はダメだね」と言われて、メンバー全員の連帯責任で評判を落とすこと。まあ、大したことじゃない。それをやらずに無難なところに落ち着き、「彼は上手いよね」という評判だけを手に入れても意味がない。



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